2014年6月13日金曜日

埃を寄せ付けない誇り

 話題になっているという、ファミリーマート店員の加藤さんの様子を撮影した動画を見た。
 「キレッキレ」という形容句が適切なのかどうかはともかく、アメ横のオッチャンみたいな威勢の良さとオーバーアクションで、ついつい見入ってしまうのは間違いがない。




 コメント欄を見ると賛否両論ある。
 「商品をもっと丁寧に扱え」とかいう意見には、私も同意しないわけではない。

 それでも、私は、加藤さんのこの仕事ぶりは、とても素敵じゃないかと思う。

 どこが素敵なのか。

 何より、加藤さんが自らの仕事を、「作業」や「処理」ではなく、「サービス」と捉えているところが素晴らしい。

 コンビニのレジ打ちは、誰にでも出来る単純作業だと思われがちだ。
 作業ならば、間違いが無いのは当然で、なるべく速い方が良い。そして、それ以上の付加価値は加えようが無い。
 しかし、これが「サービス」であるとなると、無限のバリエーションが生まれ得る。

 新たなバリエーションを生むのは、絶えざる自己否定である。一旦作り上げられたもの、既に一分の隙もないほどに磨き上げられているものを否定していくことなくしては、新たなバリエーションは生み出し得ない。スクラップ・アンド・ビルドの連続が要求されるのである。

 これを可能にするのは、「サービス」の対象である客をよく見ていなくてはならない。
 それは、次のYouTube動画で紹介されている話からも分かる。(もっとも、これが実話かどうかは確認していないが。)



 客は恒に変化するから、客が異なれば採るべき手法も変えなくてはならない。さもなくば伝わらない。或いは、意図せぬ伝わり方をしてしまう。冒頭の動画でも、加藤さんの動きを見て客(撮影者)が笑っている声が聞き取れる。また、代金や釣り銭の授受では、客のペースに合わせつつもテンポを崩さない工夫が感じられる。

 相手を見ながら、その手法をスクラップビルドし続けるのは、口で言うほど簡単ではない。(だからこそ、失敗が無いように、マニュアルに沿ってそこから一歩も出ないような対応をしてしまいがちなのだが。)

 その面倒なことをやり続けるモチベーションをもたらすものは、自らの仕事に対する「誇り」であろう。

 誇りというものは、なかなか面倒なもので、これを持つと、その手法を固定化させてしまいがちになる。シャレではなく、誇りのせいで仕事に埃が積もってしまうのである。(自分の仕事ぶりを振り返ると、自分で書いててツライ……。)

 誇りを、サービスの手法にではなく、サービスを行うという関係の在り方に持つというのは、かなり難しい。「関係」などというものは捉え所がないからである。
 だからこそ、それを実践している人には賞賛を惜しまないようにしたい。

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