その後、「親鸞エッセイコンテスト 親鸞さんに、いま、伝えたいこと」の表彰式が執り行われた。
【親鸞エッセイコンテスト表彰式】大学報恩講式典の後、親鸞エッセイコンテスト「親鸞さんに、いま、伝えたいこと」の表彰式を挙行しました。昨日の湖西セミナーキャンパスでの交流会で仲良くなった中高校生部門の受賞者たちは、みんなで緊張をほぐしなが...
Posted by 大谷大学 on 2015年11月21日
授賞式に参加した私たちには、簡易製本された「受賞作品集」が配られた。
パラパラとめくっていると、ちょっと気になるフレーズがあった。引用しよう。
私には恐れていることがある。それは私も含め皆、誰かの苦しみを、理解しているだなんて言えないのを、忘れてはいやしないかということ。そして私たちはこれを忘れたまま、すさまじいスピードで、その速さが故に、時には感情の高ぶりにまかせ、思慮に欠けた考えを発信できてしまうということだ。立ち止まるということは、「このスピードの時代」にあっては、非常に勇気の要ることである。
今この時代を生きる私たちに必要なのは、分かり得ない苦を自覚し、熟考することではないだろうか。分からないから諦めるという選択肢がないのを、苦しみ・助けられ生きる私たちは知っている。だからこのスピードの時代に、立ち止まってみる必要があると思うのだ。堀池 萌水(大谷高校第3学年)-優秀賞
その一方で、立ち止まって考える必要性はあちこちで言われている。あちこちで言われているのだが、一向に社会の雰囲気が方向転換しつつあるという話を聞かない。
なかなかその勇気を持てないからだ。
ひょっとしたら、「スピードの時代」なのは、「今この時代」に限ったことではないのかも知れない。
人間の文明は、基本的に効率化を「進歩」と捉えてきた。つまり、どの時代でも「それ以前にはないくらいにスピードが要求されるようになった」時代だったのである。
宗教が、つねに物語という形式で伝えられてきたのは、やはり、強烈な感情移入無しには、立ち止まることが難しいからではなかったのか。