年齢のせいか、食後に胃の膨満感がなかなか解消しないことが多くなってきた。
もちろん、そういう経験が多くなると、自然と、食べる量も減ってくる。食欲も、単に量的に減るだけではなく(私の中年太りもかなり激しくなってきたので、量が減るのは何も問題ないのだが)、様々なものを食べてみようという意欲も無くなってきたし、今まで食べたことがないものへの好奇心も減退しているように感じる。目新しいメニューを見つけても、それを注文せずに、食べ慣れたものを注文してしまうことが多くなった。
私の周辺にいる人びとを見回してみると、「この人はスゲぇなぁ」と思わせられる人は、体形に拘わらず、大抵の場合、健啖家でもある。
食物というのは、私たちが内部に取り込む外部として最も一般的なものである。
その摂取意欲が減るというのは、実は肉体的な問題だけではないのではないか。
以前から、食べものに対する「好き嫌い」を持つ人に対して、「勿体ない」という意識を禁じ得なかった(アレルギーなど生理的なことに起因するものはまた別)。食事というのは、そこにはその土地の自然条件(何が取れるのか)だけではなく、その自然に対する態度や歴史など様々なものが凝縮されている。特に、旅行に行った際などは、その土地の食事を食べないと、重要な観光地を一つ飛ばしたような気になったものである。既にしつらえられたチャンネルの一つをわざわざ自分で閉ざしているようなものだと感じていたのである。
食べることは、世界と交信する重要なチャンネルであるという考え方には今も変わりが無い。
ただ、量的にも種類的にも食べられる範囲が狭まってくと、自分がどんどんと偏狭な人間になってきているということを認めなくてはならない。
これはなかなかにシンドイ自己認識である。
食に対する考え方か態度かのいずれかを改めなくてはならない。
ところが、最近は、自己侮蔑的な自己認識を受け入れようとする姿勢が強くなってきたように感じる。
コレは、益々ヤバい。
単に開き直っているだけではないか!
これから様々な花が咲き、たくさんの鳥がやって来て、色んな虫が姿を見せる季節でもあるというのに、そういった外部に目を向けることを自ら禁じているようなものではないか。