もう少しすると、湖西線乗客の平均的マナーが劣化する季節がやってくる。車内で宴会を開いては、日本酒やビールの臭いをスルメのニオイと一緒に充満させるのである。
観光都市京都では、中国人観光客の姿をみかけることも多くなった。中国人観光客のマナーが悪いと、批判的な記事を目にすることも多くなった。確かに、現在の日本人一般のやり方にそぐわない部分も少なくないし、「マナーが悪い」と言っても良いのかも知れない。
だが、かつての日本人だって、決してマナーが良いわけではなかった。
JR在来線の車内が禁煙になったのは、嫌煙運動が盛んになる前のことである。車内の灰皿を撤去して禁煙にした理由は「清掃費用の削減」であったと聞く。健康増進だとかそんなことは全く語られることはなかった。
私の記憶の中でも、かつての国鉄時代の客車内は、決して美しいものではなかった。
このように考えると、ひょっとすると、所謂「マナーの良さ」というものは、成長の欠如を表すものなのかも知れない。多少のブレはあるとしても、グイグイと伸びている時には、マナーというものの優先順位が大きく下がってしまうのだろう。
そうだとすると、現在の日本が、所謂「民度」を一つのウリにしているのは、日本が極めて低成長の状況にあることを表していると言っても良いのかも知れない。
もちろん、マナーが下がれば社会が成長するということはないだろう。しかし、マナーを過度に重視するような社会は、新しい地平へ延びていこうという勢いを持っていないのだと言うことはできよう。
そもそも、個人のレベルで見てみても、他人の至らない所を指摘しようとする人に伸び盛りの人はいないであろう。自分のいる地平から一歩でも踏み出していこうとするような人は、むしろ、他者に自らが持っていないもの、知らないものを見出し、そこに随喜するのではないだろうか。