大谷大学のウェブ企画で、「OTANI TALK」というものがある。
今年度は、私もこれに参加することになった。
で、年度が替わる4月1日を期して2015年度版が公開された。
この中で、私も学生さんと対談をしている。
「OTANI TALK 2015 仏教学科」
で、他の学科のものも読んでみた。
で、少なからぬ対談で取り上げられているのが「友達」という問題だということに気付いた。
そうか。そりゃそうだよな。19歳頃って、友達がいるかどうかが人生の一大問題だというぐらいの比重を占めるもんだろう。
だけど、友達なんて、そんなにできるもんじゃない。そもそも、友達は「できる」ものであり、「作る」ものではない。友達になろうとしても、そうそうは友達にはなれないものだ。
むしろ、私たちが重視しなくてはならないのは、友達よりも、仲間という関係のあり方だろう。
人間は独りでは生きてはいけない。よく言われるこの命題が示すのは、私たちは生活のさまざまな局面で他者と協同していかざるを得ない、ということである。
私たちが関わっていかなくてはならない「他者」は、必ずしも気心の合う人たちばかりではない。むしろ、どうしてもソリが合わない人とだって一緒に何かをしなくてはならない。そういうソリが合わない人と、やらねばならないことを遂行するにはどうするかが問題なのである。
ここで間違ってならないのは、ソリが合わない人と仲良くなる(友達になる)ことが課題ではないということだ。そもそも、ソリが合わないような人と仲良くなるなんてのは至難の業である。ソリが合わないヤツは、何をやっても一々コチラの癇に障る。理不尽なようでも、それが実際であろう。
それならば、そのような非現実的なことは目指さない方がいい。
必要なのは、気に入らないヤツとも、仲間として「何とかやっていく」精神力と技術だ。
私たちは、一生の間にさまざまな立場に身を置くことになる。そして、その立場毎に仲間は異なる。友達はひょっとすると一生ものかも知れないが、仲間との関係は、自分と相手とが一定の立場にある間だけである。しかも、四六時中ともに居るわけではない。永遠に付き合うことになるかも知れない友達と、一時的な付き合いである仲間とを混同してはならない。
友達は、意識して「友達になろう」としてもうまく行かないことが多いが、仲間ならば意識的にマネージすることができる。仲間のことは、別に好きにならなくても良い、人間的に尊敬できなくとも良い。自分との関係において果たしてくれるであろう「働き」に対して相応の敬意を払うことで済む。
年度が新しくなり、新たな仲間とともに過ごす時間が始まった。
私たちが身につけるべきなのは、「友達」を求めずに居られる精神力と、いけ好かない「仲間」とも上手くやっていく技術であろう。
そういう意味でも、日々の挨拶をキチンとするというのは、大切なんだよな。

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