職場の個人研究室を引っ越した。これまで私の個人研究室があった建物が建て替えとなるためである。
研究室を引っ越すと、当然ながら書棚のレイアウトが変わる。書棚のレイアウトが変化したならば、そこにどのように本を収めるかも大きく変化するのが当然である。特に、今回は収容量が大きく減少したので、「どのように」だけではなく、「どれを」ということについても考えなくてはいけない。
どのような書籍をどのように書架に配置するかは、書店にとっては極めて重要なのだと聞く。どの本をどのように配架するかで売れ行きが大きく変わるのだという。これを「棚をつくる」というらしい。
かなり以前に、「背表紙の読書」ということを書いた。本を実際に開いてページを繰ることがなくとも、背表紙を読んでどのような本があるのかを知るだけでも違うものだ。
現在の大谷大学では、教員の個人研究室は、教員がここの研究を進める場所である以上に「第2の教室」といった側面がある。書棚の本も、教員である私が自分自身の研究や授業準備に使う本である以上に、学生さん達に提示する本が中心となってきている。だから、電子書籍で読んだ本を、これは学生さんたちに紹介したいからと、紙本を追加購入して研究室に置くことも珍しくない。
研究室を訪ねてくれる学生さんは、もちろん、本を紹介して貰いたくて研究室に来てくれる人ばかりではない。むしろ、そういう学生さんはかなり少数派である。書籍紹介を期待していない学生さんでも、研究室を訪ねてくれれば、自然と書架に眼が行く。その時に目にする書籍の影響力は、決して無視することが出来ないほどに大きい。むしろ、書籍のことなど念頭に無かった学生さんが書籍というチャンネルの重要性に気づいてくれたならば、大学教員としてこれ以上ないくらいの教育効果を上げたことにもなろう。個人研究室の書架にどのような背表紙が並んでいるかは、ひょっとすると、教室での板書並みに重要なものであるかも知れないのだ。
そうであればこそ、個人研究室の書架に、どのような本を、どのように配置するのかは、なかなかに心を悩ませる課題である。研究室にどのような「棚を作る」かは、頭を悩ませるに値する問題なのだ。
どのような「棚を作る」かは、何を見せようとするかによって大きく変わる。
教員が専門とする分野にはどのような書籍があるのかを示すというのが一般的であろうか。或いは、仏教学のように夥しい書籍が出版されている場合には、どの書籍に依るべきかを示すべきだとの考え方もあろう。このように限定していくのではなく、逆に、その専門分野がどれ程の広がりを持つのかを示すというアプローチもあって良いはずだ。
考えてみれば、大学という、図書館を付属施設として持っている組織で働いているのだ。私が研究室に持っている本の大半は、大学図書館が収蔵している。研究に必要な書籍を「全て」手元に置いておく必要はないはずである。色々と書き込みをしたいテキストの類いはともかくとして、読み本系は図書館にあれば良いではないかという考えも成り立つ。
今回の移動を機に、学術雑誌のバックナンバーを個人研究室内に置いておくのはやめることにした。学術雑誌の背表紙は、大概無味乾燥なものでしかなく、背表紙を見せることによる教育効果がさほど期待できない。
棚作りに定評があるのは、大谷大学の北東角にある大垣書店本店である。特に2階の人文書売り場では、「こんな本があったのか」と思わせられるような本の並べ方がなされている。大谷大学の近くに、格好のお手本があることになる。
どのような書籍をどのように書架に配置するかは、書店にとっては極めて重要なのだと聞く。どの本をどのように配架するかで売れ行きが大きく変わるのだという。これを「棚をつくる」というらしい。
かなり以前に、「背表紙の読書」ということを書いた。本を実際に開いてページを繰ることがなくとも、背表紙を読んでどのような本があるのかを知るだけでも違うものだ。
研究室を訪ねてくれる学生さんは、もちろん、本を紹介して貰いたくて研究室に来てくれる人ばかりではない。むしろ、そういう学生さんはかなり少数派である。書籍紹介を期待していない学生さんでも、研究室を訪ねてくれれば、自然と書架に眼が行く。その時に目にする書籍の影響力は、決して無視することが出来ないほどに大きい。むしろ、書籍のことなど念頭に無かった学生さんが書籍というチャンネルの重要性に気づいてくれたならば、大学教員としてこれ以上ないくらいの教育効果を上げたことにもなろう。個人研究室の書架にどのような背表紙が並んでいるかは、ひょっとすると、教室での板書並みに重要なものであるかも知れないのだ。
教員が専門とする分野にはどのような書籍があるのかを示すというのが一般的であろうか。或いは、仏教学のように夥しい書籍が出版されている場合には、どの書籍に依るべきかを示すべきだとの考え方もあろう。このように限定していくのではなく、逆に、その専門分野がどれ程の広がりを持つのかを示すというアプローチもあって良いはずだ。
今回の移動を機に、学術雑誌のバックナンバーを個人研究室内に置いておくのはやめることにした。学術雑誌の背表紙は、大概無味乾燥なものでしかなく、背表紙を見せることによる教育効果がさほど期待できない。
しかしながら、こうして気負ったことを考えていると、結局なかなか本の整理が進まないのも事実だ。どこかで思い切ることも重要なんだよな……。
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| なかなか整理できず、「棚を作る」には程遠い。 |
なお、いったん決めた方針に基づいて、書架に収める本を継続的に取捨選択していくことを、「棚を磨く」と言うらしい。
放っておけば、本はどんどん増える。大量の本が日々出版されているのだ。私が関心を持つ分野だけでもかなりのものになる。棚から溢れた本は棚に収められた本を利用しづらいものにしてしまう。棚から溢れてしまったものだけではなく、以前から棚に収められていた本の価値までをも現ずることになってしまう。
磨かれない本棚は、急速にその価値を失っていくものなのだ。
棚を磨くためには、時間ばかりではなく、心もかけなくてはならない。
「この本は、やはり棚に収めておくべきなのだろうか。」
「この本はココに配置していて良いのだろうか。」 ……などなど。
やはり、不断に心と手をかけていなくてはならないのだ。
放っておけば、本はどんどん増える。大量の本が日々出版されているのだ。私が関心を持つ分野だけでもかなりのものになる。棚から溢れた本は棚に収められた本を利用しづらいものにしてしまう。棚から溢れてしまったものだけではなく、以前から棚に収められていた本の価値までをも現ずることになってしまう。
磨かれない本棚は、急速にその価値を失っていくものなのだ。
棚を磨くためには、時間ばかりではなく、心もかけなくてはならない。
「この本は、やはり棚に収めておくべきなのだろうか。」
「この本はココに配置していて良いのだろうか。」 ……などなど。
やはり、不断に心と手をかけていなくてはならないのだ。

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