いや、もう、なかなか楽しかった。
公開されて、もう1週間以上経っているので、あちこちにレビューが上がっている。だから、この投稿では、チョット違う面から考えてみたいと思う。
本作は、ハリウッドが制作したゴジラ映画としては2作目になる。
前作の、1998年のローランド・エメリッヒ監督作品も面白かったが、あれは、『ジュラシックパーク』のような、パニック映画の面白さであった。
そういう意味では、
「あれは、単なる"ZILLA"であって、"GODZILLA"ではない」
とか、
「単なる巨大な爬虫類に過ぎない」
などという批判は、当たっていたと言えよう。私なんぞは、パニック映画としてはそれなりに楽しんだし、エンディングでレッド・ツェッペリンの「カシュミール」をもじった音楽が流れてきただけで全てを許す気になった。しかし、そうは感じなかった人が多かったのも十分に頷ける。
その点、エドワーズ監督は、ゴジラを怪獣としてキチンと描いていたように思う。
パンフレットやいくつかのインタビュー記事を読むと、エドワーズ監督は「ヒューマンドラマ」という側面を大切にしたかったと述べている。確かに、そういう監督の思いは、作品自体からも感じ取れた。しかしながら、人間の側のドラマをしっかりと描くことに注力した結果、失われてしまったものもあるように感じる。
それは、「年齢を超えて家族で楽しめる娯楽」という側面だ。
なるほど、今回の映画は、私のように、ある程度年齢がいっている者にとってはけっこう楽しめるものになっている。かつてのゴジラの面影も感じられてノスタルジーに浸ることもできるし、人間ドラマも感じられる。或いは、原子力や、自然に対する無力さといった、大上段からの社会的メッセージを読み取ることもできよう。
しかし、そのせいで、プロットが複雑になり、アクションシーンまでの時間が長すぎた。もちろん、大人にとっては、徐々に雰囲気を盛り上げる舞台装置として受容することもできよう。だが、小学生にとってはどうだろうか。MUTOが暴れ出したとき、私の両横に坐っていた小学生は、明らかに、もう待ちくたびれていた。
更には、暗い画面の中で容易に全体像を見せないカメラワークは、完全に大人のためのものであった。子どもにとっては、大音響の中で何やら訳が分からない状況が延々と続くだけだ。そのような状況下では、破壊のカタルシスを感じることもできない。大人は、全体像を想像しつつ、なかなか全体が目の前に明らかにされない状況を、かなりの長い時間「楽しむ」ことができる。じらされることが大人は好きだといっても良い。だが、子どもがじらされる状況を楽しめるのは、大人と比べて、極めて短い時間でしかない。
ゴジラは、「怪獣映画」に分類される映画である。
それならば、最も楽しんでもらわねばならないのは、小学生であろう。
エドワーズ監督の『ゴジラ』では、小学生達は、どの登場人物に感情移入すれば良かったのであろうか。恐らくは、誰にも感情移入できないままに終わってしまう。感情移入すること無しに映画を楽しむことは難しいであろう。
エドワーズ監督は、ヒューマンドラマを大切にするために、怪獣映画というジャンルで最も重要な顧客である子どもを切り捨ててしまったと言わざるを得ない。その証拠に、今回の映画サイトでは、キャスト紹介に子役の紹介は全くないのである。
怪獣映画をはじめとするサブカルチャーを子ども時代に楽しんだ者は、既にそこそこの年齢になってしまった。或いは、マーケットとしては、「現役の」子どもよりも「かつての」子どもの方が遙かに大きくなっているのかも知れない。映画制作が慈善事業ではない以上、より大きなマーケットの方を向くのは自然なことなのかも知れない。
だが、それでも、怪獣映画は、子どもを見捨ててはならないのだと思う。
なるほど、今回の映画は、私のように、ある程度年齢がいっている者にとってはけっこう楽しめるものになっている。かつてのゴジラの面影も感じられてノスタルジーに浸ることもできるし、人間ドラマも感じられる。或いは、原子力や、自然に対する無力さといった、大上段からの社会的メッセージを読み取ることもできよう。
しかし、そのせいで、プロットが複雑になり、アクションシーンまでの時間が長すぎた。もちろん、大人にとっては、徐々に雰囲気を盛り上げる舞台装置として受容することもできよう。だが、小学生にとってはどうだろうか。MUTOが暴れ出したとき、私の両横に坐っていた小学生は、明らかに、もう待ちくたびれていた。
更には、暗い画面の中で容易に全体像を見せないカメラワークは、完全に大人のためのものであった。子どもにとっては、大音響の中で何やら訳が分からない状況が延々と続くだけだ。そのような状況下では、破壊のカタルシスを感じることもできない。大人は、全体像を想像しつつ、なかなか全体が目の前に明らかにされない状況を、かなりの長い時間「楽しむ」ことができる。じらされることが大人は好きだといっても良い。だが、子どもがじらされる状況を楽しめるのは、大人と比べて、極めて短い時間でしかない。
ゴジラは、「怪獣映画」に分類される映画である。
それならば、最も楽しんでもらわねばならないのは、小学生であろう。
エドワーズ監督の『ゴジラ』では、小学生達は、どの登場人物に感情移入すれば良かったのであろうか。恐らくは、誰にも感情移入できないままに終わってしまう。感情移入すること無しに映画を楽しむことは難しいであろう。
エドワーズ監督は、ヒューマンドラマを大切にするために、怪獣映画というジャンルで最も重要な顧客である子どもを切り捨ててしまったと言わざるを得ない。その証拠に、今回の映画サイトでは、キャスト紹介に子役の紹介は全くないのである。
怪獣映画をはじめとするサブカルチャーを子ども時代に楽しんだ者は、既にそこそこの年齢になってしまった。或いは、マーケットとしては、「現役の」子どもよりも「かつての」子どもの方が遙かに大きくなっているのかも知れない。映画制作が慈善事業ではない以上、より大きなマーケットの方を向くのは自然なことなのかも知れない。
だが、それでも、怪獣映画は、子どもを見捨ててはならないのだと思う。
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