2025年9月15日月曜日

万国博覧会と絵画

  福田美術館という所を初めて訪れた。

 「万博・日本画繚乱 ー北斎、大観、そして翠石ー」という企画展示がなされていた。

 当初の思いとは異なり、実際にはなかなか面白いものだった。

 私はどこに面白さを感じたのか。それを確かめてみたい。

 そもそも、万博と日本画というものが、一見、なかなか接点を見出せない。

 それが、万博に出展された日本画作品を取り挙げたものだということは、容易に想像が付く。

 しかし、私自身の感覚からすると、万国博覧会というのは、基本的に国威発揚を目論んだものであり、殖産興業のための大規模見本市という位置付けである。

 例えば、1970年の大阪万博のアメリカ館では「月の石」が出展された。これは、アメリカの宇宙技術を象徴するものであった。当時のソヴィエト連邦との宇宙開発競争の状況を考えれば、宇宙技術はその国の科学技術を象徴するものであったはずだ。そのような雰囲気の中では、「月の石」は、宇宙からもたらされた具体的な成果物であり、他のいずれの国もそのような成果物を地上に持ち帰り得ていなかった以上、他の国が真似することのできない強烈なインパクトを与えるるものであった。事実、この「月の石」は大きな話題となったという。

 だとすれば、絵画などはどのように国威発揚に繋がるのであろうか。

 もちろん、パリ万博で展示された日本の浮世絵などがフランス画壇でのジャポニズム興起のきっかけの一つになったことはあろう。だが、それが日本の殖産興業にどれ程繋がったのか、よく分からない。万博での浮世絵出展をきっかけにして日本の版画が大々的に輸出されたとは聞かない。

 つまり、絵画を展示することが、世界に対して日本を売り出すことにどう貢献するのか、私にはなかなか結び付かなかったのである。


 しかしながら、今回展観を観ていて、ちょっと面白いことに気付いた。

 展観されている作品の中には、いわゆるハデな作品ではないものもあった。同じ絵画の分野であっても、西洋のゴッテリとした油絵と比較すると、とてもじゃないがすぐに目を引くとは言い難かったりする。

 そのような「地味な」作品がどうして注目されるようになったのだろうか。別の言い方をすれば、その目立たぬ作品のどこが注目されたのであろうか。

 そもそも、絵画は一体何を表すものなのだろうか。

 これについても先出の印象派のことが思い出される。印象派の活躍の背景には産業革命による社会構造の変化があった。社会構造が変わるということは、世界の「見え方」が変わるということである。

 芸術というのは、世界のありさまを忠実に模写するものではない。むしろ、世界の「見え方」を模写しようとするものである。私の感じていた世界はこれだったと提示されて感動するのが芸術作品である。

 だとすれば、万博に展観された絵画は、万博会場となった西洋の人びとに対して新しい世界の「見え方」を提示したのであろう。


 では、その新しい「見え方」とはどのようなものであったのか。

 それについては、まだ考えがまとまらない……。

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